夜桜に頬をたたかれ、

 ひさしぶりにほんとうにきれいなものを見たって感じで。


 少しいい格好をして、本を持って出掛けなければ。人間観察なんてしていたような。
いろんな人と話したい。恥ずかしければ、酒を使う。
そうだ、またサッカーやろう。


 「春も夜」でいいと思う

 100万のための10万

これで会いにいくよ。

 金を払う価値のあるものは、過程で必要になるものだ。

行きたいところにエスカレーターをかけるための金なら出そう。

 時間は限られている。

そこに使うためなら、ポイント集めだろうが、実家暮らしだろうが、小金稼ぎだろうがしてやろう。

 ウグイスの件だと秀吉的思考なのだろうね。


 星空ドライブで一緒に来ました。

大人って嫌味とか言っていいんだっけ

 「ホーミー」という音を出して羊を呼ぶ人がいる。

これは、口で2つの音を同時に出すという技術である。

 人は通常1つの音ずつしか出せないので、言語は必然的に線状になるという性質がある。

しかし、ホーミーにおいて、同時に2音が出せている。音楽の授業でやった和音が人間の体で出せている。

つまり、線状性は必然ではなくなっている。


 ホーミーは、羊を操る技術である。

動物にも言語があって、それには線状性がないのではないか。

線状性がないことは、動物にとって良い点と悪い点がある。

良い点は短時間で多くの情報を送ることが出来る。

悪い点は情報の正確性が落ちる。

動物にとって優先すべきは前者ではなかろうか。

動物の言語は、楽器に近いのではないか。

小学生のときに国語で読んだ馬頭琴ってなかなか

50歳のモテ男

赤の1号イチゴ・青の2号ニラ・黄色の3

 モテるためには、努力が必要である。

逆に言うと、努力すればある程度はモテるのではないだろうか。

「モテる」ということを能力だとすると、先天的なものと後天的なものに分けられる。

 先天的なモテとは、おおよそ見た目である。

背の高さ、顔の良さ、身体能力など、自分ではどうしようもない領域。

 後天的なモテとは、獲得できる能力。

話のうまさ、気遣い、特殊技能など、努力によって培われるもの。

さらに、後天的モテは先天的モテに比べ色あせない。


たとえば、

中学生や高校生のとき、好きな異性に電話する前に話す内容を書き出してから電話をしたことがあるだろうか。

そんな淡い思い出ある人。

あなたは、今、以前に比べてモテるのではないだろうか。


これからすることを予想してから行うことプロダクションストラテジーというそうで、

手っ取り早く効果を出すために使う方略である。

その頃からなにかしら工夫しているのだから、そろそろ効果が出ていい頃である。

思うに、人から好かれるというのは、コミュニケーションのなかでどのように振舞うかにかかっている。

見た目もその一部で重要だが、いずれ衰えていくものである。


先天的なものを後天的なものが上回っていくことでモテは調整可能になっていく。


今までものすごくモテてきた人は気を付けたほうがいいかもしれない。

なんとなくもてていた人は今まで通りでこれからもモテるだろう。

昔はモテたという人はもう少し努力をしたほうがいいかもしれない。


婚活、婚活というが、

ただ合コンして、「自分に合う相手が  」なんて言っていてもどうしようもないと思うがね。

5・15事件

そんなバナナ


話せばわかる。

バカと天才は紙一重と人はいいますが、
そんなことはないと思います。

まず、頭がいいというのは意識的に言葉を自在に操れるってことだとおもう。
言葉って言うのは、信号とか、概念とかそういうことも含める。
とすると、体がうまく動かせるってことも頭がいいということになる。

つまり、考えたいことを考えられて、動きたいように動けるってことが頭がいいってことだとする。

では、どうやって頭をよくするか。
それは、2種類ある。
ひとつは、本とか、人の話を聞いて、たくさんのものをみるという方法。
もうひとつは、やりたいことイメージして、やってみて、イメージと違ったところを変化させるという方法。

で、なぜ、天才はバカか。
それは、意識してやらないから。

積み重ねたものもないし、
イメージと実際を合わせるということもしたことがない。

最初からわかるし、できるから。

ボトムアップトップダウンの話


バカボン一家をみてほしい。
彼らは天才である。


赤塚不二雄は天才ではない。
頭がいいとは自在に言葉を操ることである。

概念をこれほどポップに表現できるのは天才にはできないはずである。


ちなみに、今日は、「話せばわかるの日」

デビュー

自然が檻の中


 わたしも今週から働くことになりました。

 まだ何があるかわからないですが、毎回懸命に頑張ります。


 さて、

 NHKもおもしろくなったことで、

 わたしもそろそろ変わらなければならないのかなと思うわけです。

 美学みたいなことなのですが、

 捨てる美学と捨てない美学があると思うのです。

 捨てる美学って言うのは、ベッキーやナイナイの岡村さんのよくいうやつで

 芸のために付き合わないとかいうやつ。

 1とるために1捨てるということです。

 もうひとつは、何も捨てない。

 かの有名なハンター試験で、

 「恋人と母親どちらかしか助けられない。どちらをたすけるか。」という問題がある。

 どちらを捨てるかと問われ、どうやって捨てないかを答える問題なわけだが。

 捨てる美学でやってると「若いね」と言われそうである。

 捨てない美学は大人の美学で働く人のための美学のような気がしている。

 捨てる美学を捨てると、もはやなんの美学かわからんけどね。