多様性と選別 その4

え、なに。

 このような考え方は国際理解や異文化理解にも役立つと考える。現在、国際理解とは何か、文化とは何かと問われ続けている。私は、国際理解とは生物界からどのようにして「社会」を築いたかということであると考える。したがって、どのような「単一性」をどのように確保しているかということである。つまり、自分と異なるところを探すのではなく、自分と同じことをどのようにして行うかということを理解するということが中心になってくるのではないだろうか。
 「選別」は「多様性」を生み出し、全体の中で生き残る者を生み出す代わりに、そこからはみ出した者を切り捨てる。生物種、個体、細胞、遺伝子、どの段階においても、それが「普通」であった。しかしながら、それが、人間においては許されない。生まれもった環境、遺伝、性質によって左右されてはならない。そこで、人間は全体の多くが生き残れるような社会をつくり、それに合うような「単一性」を確保しようとしてきた。したがって、現代において「選別」によって一部が残り、その他が切り捨てられるということを前提にして「多様性」を生み出すということはできない。「多様性」が必要とされるのは、「選別」が何によって、どのように行われるかわからないときであり、「選別」の要因が限定されているときには、それに対応する「単一性」確保するほうが賢いやり方だといえる。教育はその「単一性」確保のための手段である。その教育に「多様性」の養成までも担わせることは矛盾を抱えていると私は考える。そのために、現在、その歪みが表出してきているように思われる。