DNAと言葉の化合物。いや、
頭よくなりたい。しかし、頭というのは何をもって良いとするのだろうか。
よく、イチローは頭が良いと言われる。ということは、よく言われる「学力」、学歴ではないのだろう。
これは安心できる。なぜなら、自分の状況に関わりなく頭は良くできるということだからである。
しかし、国、数、英、社、理ができる人は頭が良い人だとは思う。さらに、それらができる人は体育もできたと思う。
さらに、うまいこと言う人も賢い、頭良いと言われる。
これらを繋ぐもの。それは、言葉であると思う。
では、数学や理科はと問われるが、数学や理科であっても文字を使うし、考えているのは言葉であるし、教えるのだって言葉である。さらに、理解するのも言葉である。言葉にしにくいから理解しにくい。
運動だってそうだ。言葉で考えて、信号を送り動いている。
適切な言葉を、適切なタイミング送ることができる人間は一流のアスリートとか呼ばれる。
しかし、生まれつきというものがある。これは、DNAによるものだと思われる。外見などがそうだ。
さらに、私は、DNAによって、生まれつき、頭が良い人が存在すると思う。なぜなら、DNAさえも言葉のように思えるからである。
DNA情報やDNAの解読というように、言葉による情報と同じようなものが私たちの中に詰まっているとしたら、それが、自分の祖先のから受け継がれているものだとしたら、得手不得手があるのは当然だ。
わたしたちは、頭を良くするために言葉を使っているのだろうか。
DNAを良くするために言葉を使っているのだろうか。一番賢い人は語彙の多い人なのだろうか。だとすると、何語を使うと頭が良くなるというのはあるのではないか。
人間は言語だ。
人間が言語だ。
言語は人間だ。
言語が人間だ。
どれも正しいような気さえしてきた。
なぞは深まるばかりだが、世界は言葉に支配されている。
いや、世界は言葉だ。
いや、