人間の進化は止まったと思う

 
 生物は進化してきた。それは、長い年月をかけて身体にあらわれる。くちばし、首、足、殻、などなどその生物の特徴となってきた。

 人間はどうなんだろうか。おそらく、人間という種全体を通して、一般的には進化は止まったと思う。正確に言えば、進化の対象を自分自身ではなく、自分の外に求めた。そうして、自分の身体と向き合うのは、スポーツ選手、専門技術者、怪我・病気をした人だけとなってしまった。
 
 便利になったのは、周りばかりで、人間自体に技能を備えた、「便利な人」はいなくなってしまった。いなくなってしまったのではないかもしれない。かくれてしまったのだ。
 
 先日、パソコンの液晶を割ってしまった。直すには中古パソコンを買うくらいの金がかかる。そこで、自分で直そうと秋葉原に液晶を買いに行った。誰かが直すわけだから、パーツと技術があれば可能なはずだ。秋葉原にはジャンク街というところがある。しかし、そこは玄人のためにあり、質問や相談はしてはいけない、のってはくれない。という暗黙のルールがあるようだ。結局パーツは買えなかった。買っても直らなかったかもしれなかったが、買うことさえ、許されなかったわけである。もちろん、技術も得られなかった。

 特別な技術をもっているのはすばらしいことだ。それを使って生活するというのも当然だろう。
 しかし、その技術が占有され、そのために高額な技術費用が払わされるというのはいかがなものか。
 これは、宗主国と植民地の間にある搾取の構造とおなじではないだろうか。さらには、先に記した、人間の外の進化さえも止めることになっているのではないだろうか。

 技術も、学問も、知識も占有したときに搾取の道具になる。それが、秋葉原という国際的な街に噴出したのではないだろうか。