多目的を望む人々
学校にある教室には名前がついている。それぞれ、教科にあわせた内容の部屋になっているわけだ。
つまり、単目的。共通しているのは、机と椅子があることである。
学校では、机+椅子+黒板+?で単目的ができあがっている。
では、多目的をつくるためにはどうしたら良いのだろうか。
それは、単目的から引いていくことではないだろうか。
−?で、クラスの教室。
−黒板で、職員室。
−机で、式事時の体育館。
−椅子で、体育館、グラウンド
と、まあモノを加えれば加えるほど用途が狭まる。
したがって、空間の設置者の意図が加わる、また、こだわりが加わるということは単目的化させることだといえるのではないだろうか。
これ、和とか、わびとか、さびとかいうものなんじゃないか。
なんとなくだが。
そうか、「I」というのは、相手とは異なる自分
「私」というのは、自分はどんな存在なのか
だから、日本語には主語がなくて、日本人は自分を主張しないわけか。
(主語というのは、文を作るときに必須で、述語を変化させるものであるそうだ。)
なぜ、単目的化に向かうのだろうか。つらいだろうに。