起きながら寝るということ

 旅というのはどこかへ何かをしに行くのではなく、その行為自体を指す。それは、自分の変化や、納得、統合を待つ行為であると考える。そのためには、二つの条件が必要である。1つは、一人であること。もう1つは、同じ行動をとり続けるということである。
 一人であるということは、もうひとつの条件を成り立たせるために必要な付加的な条件である。同じ行動というのは、歩く、走る、こぐ、運転する、もしかすると、作るということなども含まれるかもしれない。その行為を続けているうちに、行為が意識せずに行われるようになり、意識するのは思考のほうになる。そのときには、どんなことでもわかった気になる。それは、睡眠が引き出しの中に詰め込んだものを整理すると例えられるのに似ている。
 だから、私は、どうしようもなくなったときに、ここではないどこかへ行きたくなる。それはどこでもいい。距離が問題なのではなく、時間が問題なのだ。
 しかし、いざ一人でどこかへ行くとなると、「ここに留まっていたい」「なぜわざわざどこかへ行くのか」と、ギリギリになってためらわれる。それを、振り切ることがもう旅なのであろう。
 それに対して、旅行というのは、何を、どこへ、だれと、どのように、いつということが重要になってくる。それは、自分が問題なのではなく、自分以外に何かを残すために行うものであるからであろう。それを、おおよそ「思い出」と呼ぶ。
 断っておくが二つの使い分けなど普段していないし、どちらが高尚かなどと言うつもりはないし、旅なんて言葉自体恥ずかしいと思っている。
 しかし、個人として、旅が旅行よりいいと思えなくなったらおしまいだろうと思っている。そうなったら私は、これを書いている私とはかなり異なる人物像であろう。